KERAさん新作『しびれ雲』で感じる幸せな日々(井上芳雄)
井上芳雄です。11、12月はストレートプレイ(セリフだけの演劇)の『しびれ雲』に出演しています。KERAさんことケラリーノ・サンドロヴィッチさんが作・演出の新作です。11月12日から12月4日まで東京・下北沢の本多劇場で公演して、12月は兵庫、北九州、新潟と地方公演が続きます。開幕が新型コロナウイルス感染症の影響で1週間ほど遅れて、稽古は大変ではありましたが、幕が開くとさすがKERAさんだと思わされる素晴らしい作品で、カンパニーの雰囲気もよく、お芝居をする喜びを全身で感じている日々です。 『しびれ雲』の舞台は、海に囲まれた、3つの村からなる孤島「梟(ふくろう)島」。時代は昭和10(1935)年ごろ。海辺近くにある、いくつかの家のひとつ石持家では、次男である国男の七回忌の法事を前に、未亡人の波子(緒川たまきさん)、波子の妹の千夏(ともさかりえさん)らが慌ただしくしています。そんなとき、ケガをして倒れている男が見つかります。千夏と夫の文吉(萩原聖人さん)は、男を法事が行われている波子の家に連れて行くのですが、彼は記憶を失っており、波子にある名前をつけられます…。その男を僕が演じています。 そんなふうに物語が始まり、島に住む人たちの人間模様が描かれます。派手な事件が起こるわけではなく、日常を描いているのですが、次々と場面が変わり、どうなるんだろうと思う出来事がどんどん起こって、KERAさんらしい笑いもしっかりまぶされています。 タイトルの「しびれ雲」とは不思議な形をした架空の雲で、島にはしびれ雲が浮かぶと、その日を境に潮目が変わるという言い伝えがあります。男の人生も、しびれ雲をきっかけに変わります。KERAさんから説明されたわけではないですが、僕なりに解釈すると、大きな出来事が起こっていないように見える日常の中にも大事な変化ははっきりとあって、誰にもそんな瞬間が訪れるということの象徴なのかなと。KERAさんの作劇がうまいのは、そういう大切なポイントを、いっぱい出てくる笑いの中にさりげなく潜ませていることで、そこはやっぱりすごい才能だなと感心します。 上演時間は休憩を入れて3時間半。KERAさんご自身、「この物語には、この長さが必要なのだ」とおっしゃっていました。出演者14人の群像劇で、それぞれにエピソードがあり、一人一人が舞台上でちゃんと生きているように描かれているので、KERAさんの愛情が伝わってきます。それぞれの役は、演じる役者さんを想定して書かれた「当て書き」です。KERAさんは稽古をしながら脚本をつくっていくやり方なので、KERAさんが役者さんをどう見ているのかを役柄から想像する楽しみ方もできます。 僕が演じる男は記憶喪失。本人に関する情報がないから、脚本がまだ完成していない稽古始めのころは、役作りもやりようがありませんでした。脚本が上がると、こんなに優しくて、素直で、人の言うことを信じていていいのかというくらい、まっすぐで純粋な人でした。自分の中にない要素はなかったので、無理なく演じられています。キャストは初めてご一緒する方も多いので、僕と今回の役をイコールで見ているところもあるのかなと思うくらいです。 KERAさんからは、ある場面では「状況をお客さんに分かってもらわなきゃとか、この言葉を立てないと、みたいなことは考えなくていいし、もっと小さい声でやってもいいよ。絶対伝わるから」と言われました。そこでは、今まで出したことのないくらい小さい声でセリフを言っています。客席が400に満たない本多劇場のサイズにあわせてのことではありますが、今回は表現を大きくする演技とは無縁な感じでやらせてもらっています。 公演を見た方からは、この役が僕の演劇界での立ち位置と似ていて面白かったという感想をいただきました。確かに、ミュージカル界という違う畑から小劇場に来て、最初は「誰なんだ? この人は」とお互いに素性が分からないところから共演者と知り合い、溶け込んでいっているところがあります。少なくともKERAさんにはそう見えているのかなと思いました。だとしたら、すごくうれしいことです。僕自身、多少の異邦人感は否めませんが、決して敵だとか脅かそうともしていないし、むしろみんなと仲良くしたい、一緒にいい毎日を送りたいと思って毎回演じています。それが役を通して伝わっているのなら喜ばしいし、当て書きで新作をつくってもらう喜びでもあります。